ムチムチの地(無知無知の知)

人生について一度立ち止まって、考えられる場所にしていきたい。

すべてがデータ化されたなら デジタルネイチャーとかホモデウスとか利己的な遺伝子とか

今やインターネットなしには生きられない時代。

 

すべてのものがゆくゆくはインターネット化されるというIoTとかIcT、近いうちに人の知能を超えるというAI、リアルとヴァーチャルの垣根をなくすVRAR

 

最近では、人の体にマイクロチップなどを埋め込んだりしてます。

 

SFの世界だったことが現実味を帯びてきているのです。

 

未来はどうなっていくのでしょうか。

 

自然や人類はどのようになっていくでしょう。

 

すべてがデータになった世界とはどんな風に見えるでしょうか。

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生物は機械か

生物は機械でしょうか?

多くの人はNOというと思います。

 

ではその違いはどこでしょうか?

 

有機物と無機物?自立的に動くか?DNAの有無?意識や感情?

 

本質的に違いはあるでしょうか?

 

デカルトは動物を機械とする考えを広めました。(デカルト主義)

人間には魂があると考えられ、動物と区別するのはそこだけだと考えていました。

 

それから100年近く後の18世紀には、魂の存在を否定し、人間も機械であるという考え方も生まれました。

 

それは直感的には反対したくなります。

 

でも、生物は機械なのかもしれません。

 

アルゴリズムに従う機械

生き物は、DNAと呼ばれる遺伝子コードを持っています。

 

そして、それをひたすら後世に残すようにふるまいます。

それが本能であり、自己保存、自己増殖とも言われるやつです。

 

そのために環境などに適応して姿を変え続けたのです。

進化という形で、自らの遺伝子を残すために戦略を立て、それをコードに刻んでいきました。間違った戦略をとれば死に、適応すれば生き残ることができました。

 

自然淘汰、適者生存というやつですね。

 

生物は遺伝子を残すという目的にそって行動します。

 

それはプログラミングされた機械と何が違うのでしょうか?

 

本質的に違いはないように思えます。

 

「遺伝子を残し続ける」というアルゴリズムに従って動いているだけなのですから。

 

自己保存の行く末

人も例外ではありません。人間に普遍的な生きている意味があるとしたら、それは遺伝子を残すということに他ならないからです。

 

でも人間には、他の動物よりも発達しているものがあります。

 

それは脳です。人間の脳は言語の獲得などにより、抽象的な思考ができます。

未来を想像し、物語を創れます。そして、自我と呼ばれる意識を持っています。

 

脳のこの働きによって、人間は人生の意味を創ることもできるのです。

 

でも、本能も強いです。

人は死ぬことにや危険なことに他の動物よりも恐怖を感じます。

未来を予測できるからです。たとえそれが想像の中だけであっても。

 

だから自己保存の欲求も強いです。遺伝子というよりは自分の身に対して。

 

古くから人は不老不死を求めていました。

自分たちが生き残るために、戦争なども正当化してきました。

 

その欲求は今でも残っています。

 

医学は病気を治すーから0への範囲を超え、健康な体をアップデートする方向へ進んでいるのです。

 

それはパワードスーツとかもそうですが、優生学的な、遺伝子操作による子供(デザイナーズベイビー)や、脳とインターネットの接続もあり得るのです。

 

 

人間は遺伝子の奴隷から解放されたはずでした。

 

でも人間の遺伝子や脳の構造をいじって作り変える。

結局自分の体も機会のように扱っていることになるかもしれません。

 

すべてはデータになるのか

 

そういったことが進んでいくと、人間はどんどん合理的に自分の能力を編集していくことになるかもしれません。

 

それは、人間のデータ化に行きつくのではないでしょうか。

 

人間のアイデンティティが、その人のDNAと記憶に基づくものであれば、それを完全に記録しデータ化したものは、その人間と全くの同一人物と言えるかもしれません。

 

それがたとえリアルの中ではないとしても。

 

脳の仕組みが解明され、知覚なども再現されたデータの中では、それは現実との境界がなくなります。映画、マトリックスの世界ですね。

 

そしてさらに、データを編集できるとしたらどうでしょう。

 

もはや遺伝子操作などではなく、自分の肉体を自由に編集できるのです。

まるでゲームの世界ですね。

 

他にも記憶を書き換えたりなんてこともあるかもしれません。それは過去という概念を変えてしまうものです。

 

好きな場所に自由に移動することも可能でしょう。自分をコピペすることも可能かもしれません。

 

時間や空間もデータの中では全く別のものになるのです。

 

まあでも、ここまではさすがに僕が生きてる間は現実的ではないかもしれないですね。

 

あるとすればデジタルネイチャーのような世界。

現実と虚構の区別がなくなる計算機の自然です。

 

五感による実在とデジタルの区別がなくなった世界。

 

そこでは現在の価値観は意味をもたなくなるでしょう。

 

シンギュラリティ

シンギュラリティというのは、人工知能が人間の知能を超えることです。

 

そんな日がきたらどうなるでしょうか。

 

今でも、巨大IT企業が個人の情報をたくさん手に入れています。

自分の知らないことまで、データとして知られていることはあり得ます。

 

これからはその流れがより活発化するでしょう。

 

心拍数などから予測される自覚できない感情の起伏や、自律神経などの知覚できないものかもしれません。人では追いきれない相手の筋肉の動きや目の動きなどから、深層心理が見破られるかもしれません。

 

そんな風に自分の情報を自分以上に知る存在が現れたら、それに頼ることで自分の最適な選択を行えるようになるでしょう。

 

そんな知能がシンギュラリティ後のAIなのかもしれません。

そうなれば、その指示に従って生活することが、人生の満足度、政治や社会の発展に最適な選択になるかもしれません。

 

でもそれらの知能は意識を持たない機械です。

それに従って生きることは合理的ではありますが、意識を持たないことと同じではないでしょうか。

 

それは、知恵の実を食べた原罪からの解放でもあるかもしれません。

でも結局のところ遺伝子の奴隷と変わらない気がします。

 

それは人間が人間であることを捨てているような気がしてなりません。

 

人はどうあるべきか

人間は進化の過程で意識を持ちました。

認知革命とも呼ばれます。

 

意識によって、遺伝子を残す以外にも生きがいを創れるようになりました。

結果的に遺伝子は残してまくっていますが(笑)

 

それでも結局、その意識をない方向にもっていくような合理主義的な考えが、今も世間を支配している気がします。

 

そしてその流れの行く末は、人間という存在を必要としない世界になるように感じます。

 

その流れは止まらないように見えるかもしれません。

でも、簡単に止まるんです。

すべては人が生み出しているものだから。

データ化やAIも、自然発生的にニョキニョキと生えてきているわけじゃありません。

 

それを人間の幸せのために使える範囲に留めることが、世界の共通認識になれば、止めることはできます。

 

すべては人が作り出しているのです。

コントロールできないように感じるのは、ゆがんだ成果主義、利益主義的な考えのせいかもしれません。

 

それでも人はきっと良い方向にかじをきれると信じたい。みんなが幸せに暮らせるのはもっと違う道があるように感じられてならないから。

 

最後まで読んでいただき誠に感謝です。

 

参考、おすすめ

 

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ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

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利己的な遺伝子 40周年記念版

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SF系アニメだいすきなのでお勧めしときます(笑)

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