ムチムチの地(無知無知の知)

人生について一度立ち止まって、考えられる場所にしていきたい。

哲学的に語らおう ~幸せとは何か。脳科学とか志とかマズローとか~

人生は何のためにあるのか。

 

それは幸せになるためだと思います。

 

言い換えれば楽しむことです。

 

では楽しむこと、幸せな状態とはどういった状態でしょうか。

 

今日はそんなことを語らえたらいいなと思います。

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さて、今日は脳科学の濃いい話を聴いてきました。

 

いやあ本当に幸せな時間でしたね~

 

そこで感じたことや考えたこと、聞いたことをまとめていきます!

 

そして関連して、幸せについて考えていきましょう!

 

 

人の認知

哲学者のカントなんかも言っていましたが、人は色眼鏡をかけて生きています。

つまりは主観ですね。行動経済学とかでいうとバイアスとかもその一種かな。

 

脳科学的に言うとスキームとか、ゲシュタルトというみたいです。

 

それは、人生のなかで重要度を測るための指標です。

そして重要度によって人の認知する情報は変わってきます。

 

たとえ同じものを見たり聞いたりしても、異なった解釈をするのは、このスキーム、つまり受け取る情報の優先順位が、人によって違うからなんですね。

 

しかも、脳はサボり常習犯なので、優先順位に入らないような不要な情報は切り捨てられます。嗅覚以外の知覚した情報は、脳幹という場所に送られ、スキームによって仕訳けられ、ほとんどの情報を捨ててしまうのです。

 

そのシステムをRAS(Reticular Activating System)と言います。

要はフィルターですね。これによって受け取る情報を絞って、脳のエネルギーを効率化しているのです。

 

人はたくさんのことを同時に見て処理しているように見せているだけで、ほとんどは実際の情報ではなく、脳が勝手に補ってみているんですね。

錯覚などが分かりやすいかも。あれも脳が勝手に補った結果の産物です。

 

人の認知は私たちが想像しているよりも曖昧なんですねー。

 

感情はなぜあるのか

前々から疑問ではあったんですよね。

動物の本能として、感情という情報が逃げたり戦ったりするのに役立つのはわかってました。でも、理性を獲得した人間にとって感情は本当に必要なのか?

情報を合理的に処理し、未来を予測できる人間が生き残るにあたって不合理なものなんじゃあないか?

 

それが結構引っかかってたんです。

 

でも今回すっきりしましたー!

 

人は未来を予測する前頭前野を発達させて自然淘汰を生き残ったわけですが、その発達のためにも感情は必要でしたし、私たちが経験で獲得するスキームの元にもなってると。

 

未来予測の精度を上げることが人の進化が行きついた生存戦略であり、そのために感情という情報によって、精度を高めてきたんですねー

 

そしてその精度の最大化が脳の目指す最終形態なわけです。

その目標に向けて人は感情と記憶を使います。

 

感情は事前の未来予測とのギャップに生じ、そのギャップが大きいほど感じる感情もデカくなります。また、感情のインパクトがでかいほど記憶にも強烈に残ります。

そしてその記憶をもとにしてスキームを形作り、そのスキームによって受け取る情報を選択していると。

 

脳の中では、情報の自然淘汰が行われてるわけですね。

そうして残ったものが、未来予測を行うのに最適な情報だと。

 

個人的に非常にスッキリ!

 

スキームを広げるために

スキームによって人が認知する情報が変わるので、そのスキームをより良いものにしていくことが、よりよい情報を得るのに必要なわけです。では、どうやったらスキームを広げられるでしょうか。

 

そのためには好奇心という感情が必要になってきます。

 

好奇心は、無知の自覚から始まると思います。

無知を自覚することで、脳の予測精度を高めるために、その無知という穴を埋めようとして好奇心が生まれるのです。

好奇心が生まれる場所は必然的にスキーマに含まれてきます。

 

さあ、無知の自覚には何が必要でしょうか。

 

それは志だと思います。

未来でどうなっていたいのかという志なしには、現状維持をして安定していたい、という人間の本能的欲求を破れません。学びたいという欲求も生まれません。

 

「学べば学ぶほど自分が無知であることに気づく。無知であればあるほど、もっと学びたくなる。」

とはアインシュタインの言葉です。

 

 

理想の自分が見えているからこそ、そこに向かうために必要なことが見え、それについて学んでいくモチベーションが湧いてくるのです。

 

志は太陽のような光です。それが高く掲げられるほど、照らされる範囲も広がります。

その分だけ必要になる知識や徳も多くなりますし、無知という満たされない欲求も増えます。

 

じゃあ志はどこから出てくるんだい?というのはまたおいおい。

 

そろそろ本題に入ろうかと(笑)

 

マズローと幸せ

幸せや楽しさはどこから生まれると思いますか?

 

人それぞれ違うさ。

という声も聞こえます。

 

もちろん個性によって幸せは違うと思います。

しかし、共通する面もあると感じました。

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この図メッチャ有名ですね!

マズローの5段階欲求です(6段階あるけど)

 

 戦後の日本では、この欲求の下の2つ(物質的欲求)が満たされれば人は幸せになれると信じさせられてきました。

安定した仕事や、マイホーム、マイカー。

 

でもそれって下2段だけなんですよね。

消費至上主義的な考えの幸せはこの領域。

 

最近言われてるのは、SNSとかで承認欲求を満たそうとしている人が増えてること。

生理、安全、社会は比較的満たされ、現在多くの人はそこだと。

 

でもこの段階の幸せって、外から与えられるものに依存した幸せなんですよね。

満たされない欠乏感をなんとか埋めようと、物質や人間関係、承認などを外に求めているわけです。この欠乏欲求は、足りてないと不満で幸せだと感じません。それに、求めれば求めるほど、無限に足りなくなります。

 

だから、自分で基準を決めて、それが満たされたら十分に幸せだと感じられるようにしないと、いつまでも欠乏します。求め続け、満たされない不幸感に苛まれるのです。

 

この欠乏欲求は今に目を向けています。

 

その上の自己実現、超越の欲求は未来に目を向けています。

 

自己実現とは夢。超越とは志と言ってもいいかもしれません。

この段階は存在欲求と呼ばれています。

 

欠乏欲求と違うのは、満たされないことが幸せだということです。

 

どういうことか。

つまりは、高い志に向けて登っている過程こそが幸せだということです。

 

夢が達成されたとき人は幸せです。でも、それは同時に夢を失うことでもあります。

夢を失い、満たされてしまうと、それ以上進めないのです。それは灯りを見失うことです。

 

夢の上の欲求には志があります。志が高ければ高いほど、志に近づいていく階段を上り続けることができます。その階段の一段一段が自分の成長であり、好奇心を刺激してくれるのです。

 

それがきっと一番の幸せなのではないでしょうか。

 

人生は楽しむもの

 

人生に普遍的な生きる意味なんてありません。

 

でも楽しんだほうがいいに決まっています。

 

楽しくないことを何のためにするのでしょう。生きるために仕方なく?

ではなぜ楽しくもないのに生きるのでしょうか。

 

僕はそう考えた時、死ぬのが怖いからただ惰性で生きていければいいと思っていました。

 

楽しくない方向で考え、楽しくなるような行動もとらず、ただ楽なほうへ。

でも楽と楽しいは違います。

 

楽は満たされない欠乏感と一緒に生きることです。

楽しいは、好奇心という欠乏感と生きることです。

 

スポーツだって、本当は楽しむために始めたのに、いつしか目の前の試合の勝ちにこだわりすぎて楽しくなくなったり。

 

目的は楽しむこと。それを忘れないようにしたい。

より楽しいのは何か考えるましょう。

自分の周りが幸せなほうが楽しいし。

社会がもっと生きやすかったら楽しいし。

平和で、自由で、美しい世界だったら楽しいはずです。

脳科学的にも、相手に感謝したり、喜ばせることは自分にとっての幸せなんです。

志とか超越欲求は崇高なものじゃなく、そんな利己的なものなのかもしれません。

 

だからもっと楽しい人生を送れるように、幸せな人生を送れるように皆で動いていけたら、今よりきっといい世界になりそうだなあと思います。

 

最後まで読んでいただき誠に感謝です!